椎間板ヘルニア 闘病日記

椎間板ヘルニアで入院。手術を控え、発症から術後の経過をまとめようと思う。

椎間板ヘルニア 神経根ブロック

12月27日

ヘルニアの痛みに耐えきれず救急車で市民病院に搬送され、いよいよきました、神経根ブロック注射。

 

神経根ブロック注射

このブログを読んでいる人は、神経根ブロックがどんな注射かはご存知ですよね。

あれこれ情報をかき集め、なんでかしらんけどこのブログに飛んできた感じですよね。

 

でも、知らない人のために、簡単に説明しますね。

 

今まで打ってきた硬膜外ブロックは、読んで字のごとく硬膜という膜の外にある空洞に麻酔薬を充填して、ジワジワ広げていきます。

 

言うなれば絨毯爆撃。

おそらくこの辺りだろうと思われる目標地点に広範囲に爆撃します。

 

一方、神経根ブロックは、レントゲンを映しながら、痛みや痺れの原因になっている神経を注射針を使って探し出し、直接麻酔薬を打ち込みます。

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こちらはピンポイント爆撃。

ターゲットを確実に狙い、効力のある高火力武器で一点に集中砲火。

 

効果は言わずもがな。

ピンポイント爆撃…じゃなくて、神経根ブロック注射の方が効果的です。

 

ただリスクは…ピンポイントで誤爆したらえらいことです。

神経根に傷がつくわけですからね。

 

とは言え、硬膜外ブロックで効かなければ、ピンポイントで攻めるしかありません。

 

しかし、この神経根ブロック、、、、

 

クッソ痛い。

 

今回神経根ブロックを打ち込まれて、痛みの原因になっている神経にヒットした瞬間、超強烈な電撃が下半身を駆け巡り、無意識に下半身が跳ね上がりました。

目の前が一瞬銀色の光でいっぱいに。

 

ほんっっっとうに痛かった。

 

この時、同い年ぐらいの看護婦さんがずっと手を握ってくれて

「大丈夫ですよ〜! ちから抜いて下さいね〜!大丈夫大丈夫!痛かったらぐっと手を握ればいいですよ!」

 

と、声を掛けてくれましたが、本当に癒されました。

白衣の天使とは良く言ったものです。

戦時中、傷ついた兵士も同じような気持ちだったのかなぁ。

なんて考えてました。

 

無事、神経根ブロックを終え一時間ほど横になってましたが、さすが神経根ブロック。

痛くて仕方なかった左のお尻からふくらはぎまでの痛みが楽に!!

おお!このまま治ってくれ!!

と本気で神に祈りました。

 

その後診察。

今の所は痛みが引いていることを伝えますが、医者曰く効果は一時的。

劇的に良くなる場合もあるが、元に戻ることも多いそうです。

 

今日は12月27日

もう年末、と言うことで次回の診察は年明けの1月10日になるそうです。

 

「それまでに痛みが出たらどうしたらいいんでしょうか…」

 

「年末年始は病院も休みです。救急外来でも痛み止めしかできないので、我慢するしかありません」

 

まじかよ…。

痛みが戻ってきたらどうしよう。

 

不安を抱えて帰宅。

 

そして翌日 12月28日

 

目が覚めて期待しながら起き上がると。

 

いてぇ!!!いてぇよ!!!

 

くっそぉ…あんな痛い思いしたのに。

一日で元に戻っちまった…。

しかし前日のように絶叫して救急搬送される程ではなく、壁を伝いながら何とか歩ける。

 

今日は仕事納め。

足を引きずりながら、バス、電車を乗り継いで名古屋の職場まで移動。

さすがに定時まで仕事を続けるのは無理だった為、昼過ぎまでに残務処理して、同僚に年末挨拶を済ませて帰宅。

 

しかし、無理をしすぎたのか帰りの電車で痛みがどんどんと強くなってくる。

 

あかん。

これはあかんやつや。。。

 

帰宅してすぐに布団に横になり、うんうんと唸っていました。

病院でもらったボルタレン座薬を使うも全く痛みが引かない。

 

俺、どうなるんやろ。

年末年始、まともに動けない。

せっかくの冬休み、子供達をどこにも連れて言ってやれない。

家族にも辛い年末年始を過ごさせてしまうら

 

子供達、ごめんな。

ごめんな。

 

とにかく痛みに耐えながら、家族に申し訳ない思いを感じていました。

 

しかしこの時の痛みはまだまだ楽な方だったのです。

 

ここから地獄の年末年始が始まります。